さて今回取り上げるのは万葉集です。万葉に残された約四千五百首のさまざまな和歌。そのどれもが「珠玉の言の葉」と呼ぶのに相応しいものですが、今日は山上憶良が詠んだ有名な「貧窮問答歌」をご紹介しようと思います。
歌人、山上憶良についてご紹介しているといくら紙数があっても足りませんので、別の機会に譲るとして、すぐに歌のご紹介をします。
万葉に載せられた山上憶良の歌は約八十首。例えば有名なものに、
憶良らは今は罷(まか)らむ子泣くらむ
それその母も吾(わ)を待つらむそ 銀(しろかね)も金(くがね)も玉も何せむに
まされる宝 子にしかめやも などが広く知られています。
しかし、それにもまして有名なのが「貧窮問答歌」と呼ばれる長歌。その「貧窮問答歌」は、二人が問答をする形で詠まれている長歌ですが、歌の存在は知っているが読んだことがない、どんな歌かまではは知らない、という人もけっこう多いようです。
長い歌ですので、一句ごとに区切って簡単な解釈をつけながらご紹介します。なお念のためにお断わりをしておきますが、このコーナー(連載)で扱う歌の解釈は、私、笹田のその時の気分が多分に反映されいます。学校の授業ではありませんので、必ずしも文学的に正しい解釈とは限りませんのでよろしく。
歌はまず一人の問い掛けで始まります。
風雑(まじ)へ 雨降る夜(よ)の 雨雑(まじ)へ 雪降る夜は 術(すべ)もなく 寒くしあれば 風をまじえた冷たい雨が降る夜、さらに、その雨にまじって雪までもが降る、そんな夜は どうしようもなく身体も凍りつくように寒いから、 堅塩(かたしほ)を 取りつづしろひ 糟湯酒(かすゆざけ) うち啜(すす)ろひて 咳(しわぶ)かひ 鼻びしびしに 固く粗末な塩を少しずつなめながら、本物の酒など到底手に入らぬから、酒粕を湯で溶いた糟湯酒をずるずるとすすり、咳を何度もしては鼻水をくずぐずとすすり上げる。 しかとあらぬ 髭かき撫でて 我(あれ)を除(お)きて 人はあらじと 誇ろへど ろくに生えているわけでもない少しばかりの髭を偉そうに撫でて、自分を差し置いて、自分より優れた能力のある人はおるまいと大いに自惚れ、威張ってはみるものの 寒くしあれば 麻襖(あさぶすま) 引き被(かがふ)り 布肩衣(ぬのかたぎぬ) 有りのことごと 服襲(きそ)へども 寒き夜すらを やっぱり寒さはこの身に応えるので 麻でつくった蒲団をひっかぶり、袖無しの着物を ありったけ重ね着をしてみても、それでもまだ寒い夜なのに 我よりも 貧しき人の 父母は 飢え寒(こご)ゆらむ 妻子(めこ)どもは 吟(によ)び泣くらむ 此の時は 如何にしつつか 汝(な)が世は渡る こんな寒い夜には、私よりももっと貧しい人の親は飢えてこごえているだろうし、その妻や子は力のない声で泣いているのだろうが、こういう時には、どうやってお前は暮らしを立てているだね。
そして問うた人間よりもさらに貧しい暮らしをしている相手が答えて歌います。
天地(あめつち)は 広しといへど 吾(あ)が為は 狭(さ)くやなりぬる 天地は広いというが、私にとっては狭くなってしまったのでしょうか。私は自分のみの置き所がどこにもないように思えます。 日月(ひつき)は 明(あか)しといへど 吾が為は 照りや給はぬ 太陽や月は明るく照り輝いて恩恵を与えて下さるとはいうが、私のためには照ってはくださらないのでしょうか。私には世の中が闇のように思えます。 人皆か 吾のみや然(しか)る 他の人も皆そうなのでしょうか、それとも私だけなのでしょうか。
わくらばに 人とはあるを 人並に 吾(あれ)も作るを たまたま人間として生まれ、人並みに自分も働いているつもりなのに、
綿も無き 布肩衣(ぬのかたぎぬ)の 海松(みる)の 如(ごと) わわけさがれる 襤褸(かかふ)のみ 肩 にうち懸け 満足な着るものを買うことも出来ないので、綿も入っていない麻の袖なしの、しかも着古して海松(海藻)のように破れて垂れ下がり、ぼろぼろ(かかふ)になったものばかりを肩にかけて、 伏廬(ふせいほ)の 曲廬(まげいほ)の内に 直土(ひたつち)に 藁(わら)解き敷きて 父母は 枕の方(かた)に 妻子(めこ)どもは 足(あと)の方に 囲(かく)み居て 憂へ吟(さまよ)ひ 低くつぶれかけた家、曲がって傾いた家の中には、地べたにじかに藁をほぐして敷いて、父母は枕の方に、妻や子は足の方に、こにな頼りない自分を囲むようにして、身を寄せあって 悲しんだりうめいたりしており、 竃(かまど)には 火気(ほけ)ふき立てず 甑(こしき)には 蜘蛛の巣懸(か)きて 飯炊(いいかし)く 事も忘れて 鵼鳥(ぬえどり)の 呻吟(のどよ)ひ居(お)るに かまどには火の気もなく、食料を入れておく甑には蜘蛛の巣がはって、もう長い間、穀物なども手に入っていないので飯を炊くことも忘れたふうで、妻や子が、かぼそい力のない声でせがんでいるというのに いとのきて 短き物を 端(はし)きると 云えるが如く ただでさえ短いものの端っこをさらに切って短くする、と諺にもあるように、悪いことはまた重なるもので 楚(しもと)取る 里長(さとおさ)が声は 寝屋戸(ねやど)まで 来(き)立ち呼ばひぬ 斯(か)くばかり 術(すべ)無きものか 世間(よのなか)の道。 鞭を持った里長の呼ぶ声が寝ている所にまで聞こえてくるほどにがんがんとわめいて 税を納めろという。世間を生きてゆくということはこれほどどうしようもないものなのでしょうか そして最後にひとつの短歌がこの問答を締めくくります。
世間(よのなか)を憂しとやさしと思へども
飛び立ちかねつ 鳥にしあらねば この世の中を辛いと思い、身も細るような気がするのだが、どこかへ飛んでゆくことも出来ない。私は鳥ではないのだから これが山上憶良の「貧窮問答歌」です。
いまから8年前、西暦2000年に石川県金沢市にあります「加茂遺跡」という場所から、嘉祥2年(西暦849年)に書かれた「膀示札」と呼ばれる板に書かれた当時の「御触れ書き」が出土して私たちを驚かせました。
土に埋もれることで奇跡的に今に伝わったこの板の札には、「百姓は午前4時には農作業に出掛け、午後8時に家に戻ること」「百姓はほしいままに魚、酒を飲食してはならない」など、8項目の禁制が記され、「もしこれを守らぬ百姓があれば村長はその百姓の名を申告せよ」と書かれています。
ちょうど、この山上憶良の貧窮問答歌が作られた少しだけ後の頃の制札です。
そして江戸時代に出された「慶安触書」には、百姓への通知として、「朝は草を刈り、昼は田畑を耕し、夜は縄をなうこと」と書かれています。
日本の民衆はこのように一貫して搾取され続けてきたのです。
いまアメリカでサブプライムローンが問題になっています。テレビで見ると、家のローンを支払えなくなった多くの人が住んでいた家を追い立てられて、公園でのテント生活を送っています。まさに容赦のない資本の論理が、アメリカの貧困層を襲っているのです。
このアメリカの貧困層と呼ばれる人たちはは全人口の約13%、約三千七百万人。そしてその貧困層全体の4割といいますから千四百八十万人という膨大な人々全員の年収の総額と、あのマイクロ・ソフトの総責任者、ビル・ゲイツ一人の年収がほぼ同じだといわれます。
そしていま、規模こそ違うものの、日本でもここ数年で収入格差は広がっています。さまざまな事件の背景に見え隠れする貧富の差が生んだ絶望感。昨年、朝日新聞の「論座」に発表されて問題となった若者による「戦争待望論」は、今も続く「貧窮問答歌」の一つなのでしょう。
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