前回も書いたように番組の「美しい日本の歌」のコーナーでは古代歌謡から現代詩にいたる日本の短詩型文学作品から私の好きな歌を選んで紹介しているのだが、たまには違うものを紹介することもある。
川瀬氏も本ネットで追悼文を寄せていたように、4月29日、「昭和の日」と名付けられたこの日に、まさに昭和の原罪を問い続けた随筆家、岡部伊都子さんが亡くなられた。私にとってもショックな出来事だった。新聞報道によると亡くなられる前日の28日、「明日死ぬんや」と話され、穏やかな表情で最後を迎えられたという。85年の生涯だった。
岡部さんとは私がまだ奈良学芸大学の学生だった頃、私が美学・美術史の教室にいた関係で、法隆寺へご一緒させていただのがご縁となり、つい最近まで岡部さんの講演会やさまざまな反戦・平和の集会などでお目にかかると、「元気ですか」とやさしい声をかけていただき、何度かその著書もいただいたりした。
ここ数年、お目にかかる機会が無かったのだが、実に惜しい人を失ったと、心からご冥福を祈りたい。
岡部さんの文章は実に美しい、そして厳密に選ばれた言葉で綴られていると私は思っている。
つい最近、自衛隊のイラクでの活動を憲法違反とした名古屋高等裁判所の判決に対し、航空自衛隊田母神幕僚長が「そんなの関係ねえ」とまるでヤクザまがいの薄汚い日本語を使っている。「国を守る」と広言する自衛隊幹部が「憲法なんか関係ねえ」と言ってはばからない、そしてそんな自衛隊幹部をとがめ立てするどころか、バックアップさえしかねない政府・自民党。だんだん日本語が薄汚れてゆくような気がする。「後期高齢者」などの新語も、まさにその典型。この間違った時代、まさに、その自衛隊幹部と正反対の位置にあって、その一生を日本人の負の遺産を問い続け、道端に咲く花の美しさを語り続けた岡部伊都子さん。改めてその死が悼まれる。
岡部さんの死去が伝えられた週の土曜日、5月3日の放送では特別編としてその岡部さんの文章をご紹介した。本来なら岡部さんが語り続けた沖繩についての文章をご紹介したかったのだが、この日の放送では、私の放送番組「ノスタルジック・オールディーズ」の時に番組で使わせていただくことをお許しいただいた、木下順二作「夕鶴」について岡部さんがお書きになった文章をご紹介することにした。
この文章は1965年、昭和40年に書かれたもの。多くの人に親しまれているお芝居である「夕鶴」に寄せて語られている中味は、書かれてから40年以上を経た今もなお、色あせず、今まさに私たちが考えなければならない課題をつきつけている。
題は夕鶴を讚える、「夕鶴讚」と付けられている。
『夕鶴』ということばには、なんともいえないきれいさがただよっている。夕方にかもしだされる、あのしずかな紫の大気、鶴の気高い白いうなじ。そして私には、茜の下を黒いシルエットとなって飛び去る鶴の姿が、くっきりと影を落としている。それは純粋なる精神が、私たちを棄てて飛び去ってゆくのをみる悲しみの傷痕なのだ。純粋な魂には、純粋な魂の話す言葉でなければきこえない。すこしでも不純な要素がまじると、それは感度のいい心の琴線には、こらえ切れない非音楽的な雑音として響くのであろう。
(中略)
常識になれ切って、その常識を破ることは非常識だと思いこんでいる頑固な心の人には、つうは当然、人間社会からの悲惨な疎外者としてしか、考えられないだろう。でも、つうのように、俗悪の常識に身を切られる痛みを覚え、あえて、非常識のそしりをうけながらも、純粋なるものに近づこうとする者は、つうを、みすみす去らしめねばならないような人間社会をして、つうの居心地よき社会に、変革したいと願わずにはいられない。
私たちは人間の一員であるから、どんなに不愉快な思いをしてもつうのように、飛び去るわけにはゆかない。また、つうに似た魂の人を、みすみす社会から飛び去らせてはならない。良識から見ると、許し難いことが簡単に常識となって力をもっている世界に、何のうたがいもなく安住し易い私たち。つうは、ぬきとれるだけの羽をみずらぬきとってしまって、もはや、よたよたと夕空を飛びさる。
鶴の影は、鶴自身の痛みというより、仰ぎみて純粋の魂を失う人間存在の傷痕であろう。鶴をとり戻すことのできる人間社会こそ、わがあこがれの社会であり、それは可能性豊かな人間にとって、たしかに可能な社会だと思うのだが。
岡部伊都子さんを偲ぶ会が先日、京都で開かれた。改めてご冥福をお祈りする。
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