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[T148] 「昭和ラプソディ〜いま日本語を考える〜」18;笹田治人

 佐紀丘陵に眠る磐之媛  この原稿の元になっているのは、これまでも何回か書いているように、私が「ならどっとFM」という地域FM局でおしゃべ...

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「昭和ラプソディ〜いま日本語を考える〜」18;笹田治人


 佐紀丘陵に眠る磐之媛

 この原稿の元になっているのは、これまでも何回か書いているように、私が「ならどっとFM」という地域FM局でおしゃべりをさせてもらっている「昭和ラプソディ・パート2」という番組の中の「美しき日本の歌」というコーナーで使っている原稿。このコーナーは一時間番組の後半の冒頭に置いているのだが、そのテーマ音楽に使っているのが、北見志保子作詞、平井康三郎作曲の「平城山」のメロディー。日本歌曲の中の名曲の一つとして親しまれている曲だが、この歌が発表されたのが1935年、昭和10年。私の生まれた年に誕生した曲だということもあって、もっともお気に入りの一つで、私の愛唱歌でもある。
 今日ご紹介するのは、この「平城山」の歌に詠まれた女性、佐紀盾列古墳群の一角に眠る磐之媛(いわのひめ)の歌をめぐっての話し。
  歌曲「平城山」は、北見志保子が引き裂かれて異郷の地にいる恋人への思いを、奈良の「磐之媛陵」に寄せて歌った和歌に曲を付けたものだが、その磐之媛陵は佐保路を西に、佐紀丘陵の一角に位置する佐紀盾列古墳群の中の一つ。濠をめぐらした大きな前方後円墳が仁徳天皇の皇后である磐之媛を葬ったとされる磐之媛命陵。
  磐之媛は葛城豪族の出身で、夫である仁徳天皇が八田皇女を妃にしょうとしたのを怒り家出をして山城筒城宮に住み、難波宮に帰ることなく、仁徳35年(347年)同宮で死去したと伝える。嫉妬に苦しみながらも天皇を愛し、また、優れた歌人として万葉集にもその歌が載せられている、というのがこの女性、磐之媛についての最も一般的な解説。
  御陵の近くに歌姫越と呼ばれる京都と奈良を結ぶ旧街道の一つがあり、磐之媛を偲んで名付けられたという。
 ではその歌。
 ありつつも君をば待たむ
  うちなびくわが黒髪に霜の置くまでに

  磐之媛の作とされている歌は万葉集巻二に四首並べて載せられている。この「ありつつも」の歌もそのうちの一首。素直に読むと、このままであなたをお待ちしましょう、私の髪に霜が降りるまで、という意味なのだが、これには別の解釈もある。
  この歌を単独で読むと、「黒髪に霜の置くまでに」の部分は、恋しい男性の訪れを門のところに立って待っている女性が、「朝になって私の髪に霜が降りようと、私はあなたが訪れてくださるのを待ち続けます」という、人を恋する女性の一途な姿が浮かんでくるのだが、磐之媛作とされる四首を並べると「黒髪に霜」というのは「年を経て白髪になっても」という、いささか執念深い女性の姿が浮かんで来て、何か恐ろしささえ感じられる。
  よく、「髪は女の命」と言われる。「うちなびくわが黒髪」という表現には、自分の容貌や姿態への絶対的な自信さえ読み取れる。その自慢の黒髪が白髪になっても……。いやはや凄まじい。
 ところで日本書紀や古事記にはこの磐之媛皇后が嫉妬深い、やや怖い女性として描かれている。
 その書紀には磐之媛皇后が詠んだ歌として
 衣こそ 二重も良きさ 夜床を
        並べむ君は 恐ろしきかも

 というのが載せられている。意味は読んだ通りで、衣なら二枚を重ねても良いのですが、あんな女と並んで寝ようなんて、なんて彼方は恐ろしい方でしょう、という意味。 
  蛇足だが「衣」というのは夜寝る時に身体にかける衣のことで、この時代には「掛け蒲団」がまだない。夜着を掛けて寝ていた。この歌は実にストレートに相手を非難し、自分の妬心を隠そうともしない。
 この嫉妬の対象となっている仁徳天皇は書紀によれば第16代天皇で応神天皇の後を継いだ天皇。実は応神天皇の後継者とされる人物は二人あり、応神帝は利発な弟の若郎子(菟道稚郎子・うじのわきのいらつこ)に皇位を譲る予定だった。ところが応神帝の死後、若郎子は異母兄の大鷦鷯尊(おおさざきのみこと=仁徳帝)が皇位を継ぐべきだとして三年間に亙って譲り合いを続け、若郎子はついに自殺することになる。皇位の継承を巡っては陰謀と殺し合いが常の古代にあっては、この譲り合いは希有の例の一つ。
  その和郎子の遺言に「是は天命、私は死にますがせめて妹の八田皇女をあなたの後宮に入れて下さい」とあった。
 この八田皇女が磐之媛の嫉妬の対象となった問題の女性。仁徳帝は彼女を後宮に入れようするが皇后である磐之媛はこれを認めない。そして今の
  衣こそ 二重も良きさ 夜床を
         並べむ君は  恐ろしきかも

の歌が詠まれる。

 ご承知のように天皇の最大の仕事は皇位継承者を遺すこと。今年、千年紀を迎えている源氏物語の冒頭に「女御、更衣あまたさぶらいたまいけるなかに」とあるように、皇后、后、女御、更衣などの序列にある女性だけでなく、もろもろの女性たちに常に囲まれている。天皇家で一夫一婦制が生まれるのは病弱だった大正天皇から。現在ですら男性による皇位継承論者の一部に、現在の皇太子に別の女性をという論議がつい先ごろまで交わされたのは周知のこと。
 そんな中で、仁徳帝が八田皇女を後宮に入れようとしただけで磐之媛皇后が激しく反発するのは変な話だということになる。事実、仁徳帝は結構多くの女性に手を出しているが、磐之媛皇后が反発するのはこの八田皇女ともう一人だけ。
  さらに八田皇女の出身氏族と磐之媛皇后の出身氏族との伝えられる昔からの抗争を考えると、単なる嫉妬心の反発だけとは言えない背景が浮かんでくる。それはさらに皇位継承を巡って譲り合ったという若郎子と大鷦鷯尊、つまり仁徳天皇との話しにもさまざまな憶測が語られ、若郎子の自殺の真相までいろいろと取り沙汰されることになる。
 書紀に載せられた磐之媛の歌
  衣こそ 二重も良きさ 夜床を
         並べむ君は  恐ろしきかも

と、万葉に載せられた
  ありつつも君をば待たむ
    うちなびくわが黒髪に霜の置くまでに

の二つの歌の微妙なニュアンスの違いから、万葉に載せられた四首は、記紀にある磐之媛伝説を下敷きに、別の人の歌を並べた、という説もある。ある、というより、別人説が現在ではほぼ定説らしい。
 今回は磐之媛の和歌のご紹介、というより磐之媛をめぐる物語の紹介になってしまった。次回も磐之媛の歌を続けることにする。
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