◎医師増員は朗報か? 舛添要一厚生労働大臣が「医師を増やす」と言い出した。果たして国民にとって本当に朗報なのか?
医師不足は深刻だ。産科医不足で産院・産科が閉鎖に追い込まれ、大病院でも産科医や小児科医、救急医、麻酔医が足らない。医学生の間では激務の外科医の希望者が激減しているという。ドラマの外科医のように周囲から尊敬を集め、かつ高収入が得られる職種ではないこと医学生はもう知っているからだ。
なぜ、今まで医師を増やさなかったのか。答えは簡単だ。医療保険給付費(以下、給付費)を増やしたくない―の一点に尽きる。国が医師養成数(具体的には医学部定員数)を増員から減員へと転換したのは1982年の閣議決定。
当時の厚生省は「医師の増員と医療費の増大には因果関係がある」と説明した。医者を増やすと、診療が増え、その結果、給付費が膨張して保険財政が苦しくなるという理屈だ。保険財政が膨らめば、税金投入と保険料引き上げが避けられない。事業主負担(従業員と折半)の増加を嫌う経済界からの医療費抑制圧力が強かったことも減員策の後押しとなった。もっとも経済界の社会保障費抑制の要求は今も変わっていない賀…。
ちなみに給付費は、保険料と税金を財源とする公的医療保険から病院、診療所などに支払われる医療費のこと。患者の窓口負担(原則3割)は含まれていない。高齢化や医療技術(医薬品開発含む)が進み、医療費が自然増となることは避け難い。保険料負担や公費負担も増えてはいるが、患者負担の方がずっと重くなっている。極端な言い方をすれば、医療費の自然増の多くを患者負担を増やすことで乗り切ってきた。
患者からみれば、医師養成数を増員は結構なことだが、最大の疑問は、何人増やし、必要な金を誰が出すのかということだろう。舛添厚労相は「(増員数は)これから調整して決める。予算は2200億円の自然増削減が予定されている社会保障費からではなく、“別枠”にする」という。
“別枠”とは、どういう意味なのか?医師養成には大学と大学院で6年、さらに独り立ちするには、さらに数年の経験が不可欠といわれ、相応の予算の手当が必要となる。
いま、永田町や霞ヶ関の界隈でささやかれでいるのが、削減の決まった道路特定財源を使うという構想。自民党参議院議員は「道路のばらまき予算を社会保障に使うと有権者にアピールできる」と言い放つ。要は、総選挙にらみ。日本の社会保障制度は官僚が作文し、与党が選挙に使ってきた。医師不足などによる医療崩壊が始まっている。作文で済まされる話ではない。(了)
看護士が欧米と比べると三分の一と聴いてきました。
米国では看護大学が多く、多くの看護士が博士号をもっていて、医師と対等。日本は看護士差別がひどいと聴きました。
『患者から見た医療』という大学の講座で二三年前まで聞いてきたのでした。
こういう説は可笑しいのでしょうか?
その講座では喫煙者が半減すれば健康保険は十分黒字になるというのです。
産婦人科医はたしかにしんどく割が合わないので、心療内科などに変わっている医師は多いみたいですね。日本人の100%主義が災いして、お産で失敗を許さない風潮なのも問題。
医師がなんにでもなれる、専門医制度が未成熟なのもおかしいみたいです。医師法がおかしい。米国みたいに二年ごとに資格試験とはいわないまでも、医師にはもっと勉強してもらいたいです。専門医になってほしい。何でも医師は困りもの。
産科:助産婦制度があるのにこの辺は改良すべきでしょう?
修士や博士の学位をもった助産婦を増やす方法は如何でしょうか?
おそらく少子化も災いでしょう? 新自由主義経済では医療費は節約の対象でしかないのでしょうか?
中国では日本の10分の一の賃金、これが世界の経済を圧迫していると言う説。若者に厳しい社会。当分、少子化は避けられないと思います。
少子化のなかで医師を増やしても、将来、問題が起こるように思います。
看護士や、その他の医療専門家を増やすとか、漢方医を増やすとか方法があるし、DNA研究などで医学・医療の進歩が医療費を削減できることにつながる時代を待つほかないのでしょうか?