今回は、いま私が放送で使っている新聞記事から、少し気になる記事をご紹介しよう。私が気ままなおしゃべりを続けている「昭和ラプソディ」は、以前の「ノスタルジック・オールディーズ」の時と同様に、おしゃべりの材料のほとんどを当時の新聞記事に依存している。
放送ではこの6月から昭和11年のことを話題にしてしゃべっている。ご承知のように当時のさまざまな問題を扱った参考資料や解説は山ほどある。だが、当時の庶民にとって(今もそうだが)日々の出来事への与えられた判断材料は、毎日配達される新聞とラジオ放送だけだったはず。その私たちの父母が目にした新聞記事から、私たちの父母が何を感じどう考えたかを知りたい。
もちろん放送でしゃべる時には、例えば永井荷風の「断腸亭日乗」や「昭和天皇独白録」などさまざまな資料を参考に使うこともあるが、軸はあくまでも新聞記事。
今後この連載でご紹介する新聞記事は全て当時の朝日新聞大阪版による。掲載日の年数は昭和。なお漢字と仮名遣いは現在のものに変えてある。例 國⇒国 軆⇒体など
昭和12年、この年から大阪府の中学校の入学試験は歴史(国史)一本だけに変更された(この事実を私は新聞記事で初めて知った)。当時の小学校の主要教科は「国語」「算数」「理科」「国史」。何の科目を入試の対象にするかは各府県が独自に決めていたようで、この年、東京は国語と算数の二教科が中学の入試科目となっている。
これについて当時の大阪府の赤間学務課長は「時代の進展、国体の正しさを明確に理解し得て、しかも過度な勉強から救う」(12年3月23日)ために国史一本にしたと語っている。
ご承知のように美濃部達吉東大教授の「天皇機関説」が貴族院で取り上げられ「天皇への反逆である」として攻撃されたのが1935(昭和10)年2月。これに端を発してこの年の暮れには「国体明徴宣言」が政府から出され、文部省は学校に対して「国体明徴を児童に徹底するよう」との通達を出している。
この大阪府の入試方法の変更は、それを受けたものだろう。それだけに、入試問題はほとんど「天皇」に関わる問題ばかりだ。
新聞には府立、私立などの中学入試問題が幾つか掲載されているのだが、その中から府立の問題を抜粋して見よう。もう一度、念のためにお断わりするがこれが当時の中学校の入試問題。つまり小学校で教えられている当時の国史の中心部分だ。
まず記事の見出し
八十七校足並み揃えて 国史一本槍の初試練
必死の学童 延人員無慮五萬
として若干の状況説明に続いて問題と模範解答を掲載している。形式的には現在のそれとほぼ同じだ。
問一
徳川光圀について次の問いに答えなさい
(イ)どうゆう考えで大日本史を作られましたか
(ハ)国体についてどのように家来をいましめられましたか
模範解答(掲載分)
光圀は尊王の心が深く、いつも皇室を敬いたてまつり、家来を
いましめて「我が主君は天皇である。将軍は我が家の本家であ
る。将軍を主君であると心得ちがいをしてはならぬぞ」といい
きかせていた。
問三
教育に関する勅語の中に「国体の精華」と仰せられましたのはどういうことですか。
模範解答
我が国体は万世一系の天皇をいただいていつの世までも動くこ
とがない。御歴代の天皇は皇祖皇宗の大御心をうけて我が国を
御家として万民をおかわいがりになり、万民もまた互いに心を
合わせ、天皇を国の御親としてあおぎたてまつつて忠誠を尽く
し、君民一体となって今日にいたっている
いかがだろうか。何度も繰り返すがこれが小学校でたたき込まれる教育だ。
そのほかにも「国史を習ったあなた方は将来日本国民としてどんな覚悟をもたねばならぬと思いますか」などの問題が並ぶ。
これらの問題について大阪府の赤間学務課長は「要は国体の理解だ」と断言する。
私も戦前の教育について頭では理解していたつもりだった。しかし、この新聞記事を読んで、頭での理解がいかに浅いものであったかを、改めて教えられた思いがした。
小学校の四年までしか戦前の教育を受けていない私ですら、70歳を超えたいまでも「教育勅語」が暗誦でき、「歴代天皇名」が言えるのは、この教育の影響だ。
ご承知のように太平洋戦争の終結にかかわって「ポッダム宣言」の受け入れが遅れたのは「国体を守れるかどうか」の判断だった。そのために多くの沖縄の人や広島・長崎の人々が犠牲となった。
いままた、愛国心教育が言われ、国(国体)を守る必要性が説かれる。
いま私がFMでしゃべっていることは、決して過去の過ぎ去った事実の解説ではない。「昭和ラプソディ」はそのことを伝える番組でもありたいと思っている。
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