「美しき日本の歌」のコーナーでは短歌や俳句だけでなく現代詩や歌の歌詞なども取り上げる。この日は番組の中で使った「夏は来ぬ」の歌詞を取り上げて見た。以下はその放送原稿。
先日テレビのクイズ番組で、童謡「赤とんぼ」の歌詞にある「おわれて見たのはいつの日か」という部分の「おわれて」の意味を問う問題に、「追いかけられて」という意味だと答えたタレントがいた。もちろん正解は「背負われて」。
「赤とんぼ」のような比較的やさしい歌詞でさえ意味を間違ってとらえられているとすれば、明治時代の小学唱歌、特に文語体の歌の多くは、今の人にはほとんど理解できなくなっているのかもしれない。
例えば明治29年(1896)に発行された小学5年生用の「教育唱歌」に掲載された佐々木信綱作詞、小山作之助作曲の「夏は来ぬ」。美しい、私の好きな曲の一つだが、歌詞は結構難しい。
この歌の歌詞は5番まであり、1番から4番まで、初夏のさまざまな風景が詠まれ、それを5番でまとめている。
1番から見てゆこう。
卯(う)の花の匂う 垣根(かきね)に
時鳥(ほととぎす) 早(はや)も来(き)鳴きて
忍(しの)び音(ね)もらす 夏は来(き)ぬ 卯の花は空木(ウツギ)のこと。ホトトギスとともに日本の初夏を代表する風物で、白い花が咲き乱れることから雪や波にも喩えられ、夏雪草などの異名もある。そのウツギの花、実は匂いはほとんどない。では「卯の花の匂う垣根」の意味は?ここでいう匂うとは、香の意味ではなく、照り映える、という意味の古い使い方。また卯の花が咲く頃は梅雨の長雨が続くことが多く、五月雨のことを卯の花腐し(うのはなくだし)という美しい言葉で表す場合もある。
時鳥はカッコウ科の鳥。「忍び音」というのは、まだ充分に鳴くことの出来ない巣立ったばかりの若鳥が小さな声で鳴く様子を示している。
そして2番
五月雨(さみだれ)の 注(そそ)ぐ山田に
早乙女(さおとめ)が 裳裾(もすそ)濡(ぬ)らして
玉苗(たまなえ)植(う)うる 夏は来ぬ 五月雨は陰暦の五月に降る雨のことで今の暦では六月に当たる。六月に降る長雨、つまり梅雨のこと。早乙女というのは田植えに働く女性の総称で、別に若い女性を意味しているわけではない。 小林一茶に「早乙女や子の泣く方へ植えてゆく」という句がある。田のあぜに赤ん坊を寝かせて田植えに励んでいると、その子が泣き出した。お乳か欲しいのか、足は自然に泣き声の方に動いてゆく。その母心の情景が目に浮かぶようだ。そう言えば「うかれ女も 早乙女となる 神事かな」という句もある。うかれ女、つまりは遊女。田植え神事には遊女までも動員されていたのだろうか。
裳裾は着物の裾。玉苗の玉は美称で、稲の苗を大切にする心根が感じられる言葉。
この2番の歌詞は、『栄花物語』にある「五月雨に裳裾濡らして植うる田を 君が千歳のみまくさにせむ」という和歌が下敷きとなっているとされている。みまくさというのは「稲」のこと。
そして3番の歌詞
橘(たちばな)の薫(かお)る 軒端(のきば)の
窓近く 蛍(ほたる)飛び交(か)い
おこたり諌(いさ)むる 夏は来ぬ 橘というのはミカンの木の古称。梅雨、そろそろ蛍が出る季節。このフレーズでは中国の故事、「蛍雪の功」がイメージされているというのが定説。おこたり諌むる、は怠けているのを諭し励ます、という意味。
この3番の歌詞も「橘のにほへる香かも ほととぎす鳴く夜の雨に 移ろいぬらむ」という万葉集の和歌が下敷きとなっていると言われている。
4番の歌詞は
楝(おうち)散る 川辺(かわべ)の宿の
門(かど)遠く 水鶏(くいな)声して
夕月すずしき 夏は来ぬ 楝というのはセンダンの木の古名。落葉樹でその実は漢方薬としても使われる。河辺の宿は別に旅館のことではなく普通の家。水鶏はクイナ科に属する夏鳥の総称で約130種類もあり、その多くは夜行性で、夕方から夜にかけて活発に行動する鳥のこと。
そして最後の5番
五月闇(さつきやみ) 蛍飛び交い
水鶏鳴き 卯の花咲きて
早苗(さなえ)植えわたす 夏は来ぬ 五月闇というのは梅雨時の夜の闇を表す言葉で、この頃、最も夜が暗いと言われる。深い闇を飛ぶ蛍、そして卯の花と、1番から4番までの情景を改めて並べて、締めくくっている。
その歌の言葉の意味がわからなくとも、人々に愛唱される。それはこの歌詞の言葉が五音・七音構成になっていることにも原因があるのだろう。やはりこの音感は私たち日本人の感覚にピッタリとするようだ。
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