大阪府知事と労組(府労連)の徹夜で行なわれた団体交渉の内容の一端を知る機会があった。正直、橋下知事の論舌に労組は負けていると感じた。これではいけない。根本から考え直すべき視点を提起したい。
橋下知事の手法で際だつのは財政再建という大きな行政目標ではない。以下のやりとりが重要なのだ。橋下知事発言に同席の労組職員が声を上げて怒りを表した場面についての発言だ。
「ふざけるなと言ってもいいんですか。あなたが押さえてください。労使は対等です。団体交渉です。しかし上下はないと思います。委員長に命令しましたか。「聞きなさい」とか。対等でいきましょう」
この「対等でいきましょう」ほその交渉の場で2回使われている。「対等」とは、実は相対主義の最たる表現である。つまり対等であることから、同席の組合員の怒りの言葉は上下関係を示すものだと指摘した。つまり知事を下に見た言葉というのだ。
これに対する労組の反応が弱い。そこが相対主義に敗北させられる民衆運動の足腰の弱さがある。
相対主義というのが今いちよくわからないかもしれないから、こういう例を出そう。
ある知事が外国籍受験者の公務員行政職受験資格について公式の場でこういう趣旨の発言したことがある。10年ほど前のことだ。「わたしどもの県民がソウル市役所に受験できますか。韓国で。できないでしょ。そう意味で相対化してわが行政ではソウル市役所と同じように(つまり相対主義で)受験できません」
相手と対等であることが相対主義なのだ。ここには外国籍受験者として当時年頭にあった在日朝鮮人の歴史性など捨象されてしまっている。相対主義という「対等」である場では民衆の怒りを表してはならない。なぜなら権力を握る側が怒りを表すなりしていないからだ。対等ゆえに、労使交渉で思わず知事発言に抗議した声「ふざけるな」に対して、「上下はないと思います」と諫めたのである。
これに対してどう交渉は展開したか。団交の席にテレビカメラが入り「情報公開」をする知事に労組委員長はこう発言をしている。「みんな押さえて座っているんです。怒りを抑えて無言で耐えている人に、さきほどのようなヤジを出さすことがあなたの目的なんですか」
「荒々しく声をあげる職員」ということで、テレビで報じられる。このメデイア政治の一材料として誘導したのが怒りをかった知事発言なのかというわけだ。しかし、これでは話がずれてしまった。ここでは相対主義により怒りが押さえつけられたことを問題にしなければならない。その指摘が展開されないで、どうして労使交渉でリードできるだろうか。大阪府の財政再建問題での人件費カット、それも退職金までカットされる事態に、相手の土俵に乗り降りようとしない。知事サイドの相対主義から降りないといけないのに。
強い側が打ち出した対等の欺瞞、そして弱い側に刻まれた歴史性を捨象したのが相対主義の正体なのだ。この土俵で勝負したら、退職金カットを提案する知事と同じ土俵で相撲をとり続けるだけになる、まず基本である土俵のあり方こそ検証しないといけないのだが。橋下知事はその一連の発言に続いてこう話している。
「私は府民の代表者ですから、私の感覚が府民の感覚なんです。これが選挙なんです。それが選挙なんです。私がいいたいのは個別の職員の方が一生懸命努力されていることを認識しています。ということは府民の方もおそらく認識しているのでしょう。」
反論は言えない。そのとおりだからだ。もうこれで橋下知事は絶対の優位に立ったのだ。
府と同じように二億円(毎日の利払い)の有利子負債に苦しむ企業なら賃金をどう維持するかの経済的経営的論理を見出すのではないでしょうか?
少子化の中で地方自治体も大阪市・神戸市にならって儲ける方策をどう構築できるか、それができないと大幅な賃下げは一般企業に見習うべきではないでしょうか?
一般に(公共)自治体、国家の予算では退職金は企業と違って積み立て準備金がないそうで、これをどうするか、やはり下げるほうが順当かも知れない。