私がさまざまな詩人たちとの出逢いに心を躍らせたのは高校の二年生の頃だったと記憶している。病弱で引き籠もりがちだった当時の私にとって、詩人たちの語る言葉との出逢いは何よりの贈り物だった。
昭和28年から発行された創元社の「現代日本詩人全集」。一冊450円のこの本は当時の私にとってあまりにも高価で、全集の中の一冊、私の好きな詩人の掲載された本だけを買ってもらったのだが、その一冊が今も私の本棚に残っている。ザラ紙のような黄ばんだお粗末な紙に印刷された詩。そこに載せられた金子光晴、吉田一穂、安西冬衛、北川冬彦たちの詩を、それこそ宝物のようにして、繰り返し読んだ記憶がある。
そこに載せられた金子光晴の詩集、「蛾」や「鬼の児の唄」などは、私の生き方にも大きな影を落としている。
今回、「昭和ラプソディ」の中で「美しき日本の歌」のコーナーをするために、これらの詩人たちの本が久しぶりに私の机に戻ってきた。
今回は現代詩から金子光晴の作品をご紹介します。
1895年、明治28年に愛知県で生まれた金子光晴。若い頃にはいくつもの大学を中退した揚げ句、亡くなった父の遺産を手にヨーロッパに渡り、その遺産を食い尽くして帰国。さらにまた、当時女子大生だった女性と、今で言う「出来ちゃった結婚」をして再び一緒にヨーロッパに渡りアルバイトで食いつなぎながら各地を転々と放浪するという言わば典型的な無頼の人生を送った人です。1975年、昭和50年に80歳で亡くなりますが、その詩はかっての私にとってバイブルに等しい一冊でした。
金子光晴の晩年の著書に「絶望の精神史」という本があります。この本は金子光晴の一種の自伝ですが、その終わりの方で彼は次のように書いています。「日本人の誇りなど、たいしたことではない。フランス人の誇りだって、中国人の誇りだって、そのとおりで、世界の国が、そんな誇りをめちゃめちゃにされたときでなければ、人間は平和を真剣に考えないのではないか」。そしてさらに「人間が国をしょってあがいているあいだ、平和などくるはずはなく、口先とはうらはらで、人間は、平和に耐えきれない動物なのではないか、とさえおもわれてくる」と書いています。まさにその通りで、「国を守る」という尤もらしい理由の下で多くの人が死んでゆきます。
「骸は適当に始末して、骨は小さな壺に入れて埋葬してください。」と遺言した彼の碑は、八王子市上川霊園九十九折りの坂道を登った狭い台地の一隅にあります。曼陀羅模様の人生を生きた金子光晴と森三千代 、この石碑の下に二人は眠っています。
今日ご紹介する詩は、あの戦争中に金子光晴が書き溜め、戦後になって昭和23年、1947年に出版された詩集「蛾」に収められた「三人」と題する三篇の詩のうち、「富士」「戦争」の二つの詩です。全体の題となっている「三人」は、詩人その人とその妻、子供の三人のこと。この詩は昭和20年2月、戦争中にに書かれています。そしてこの三篇の詩には、それぞれ「子供の徴兵検査の日に」、「富士」「戦争」という副題が付けられています。つまり自分の子供が兵隊にとられることを前提とする身体検査が行なわれた日に詠まれた詩です。
富 士
重箱のやうに
狭つくるしいこの日本。
すみからすみまでみみつちく
俺達は数へあげられてゐるのだ。
そして、失礼千万にも
俺達を招集しやがるんだ。
戸籍簿よ。早く焼けてしまへ。
誰も、俺の息子をおぼえてるな。
息子よ。
この手のひらにもみこまれてゐろ。
帽子のうらへ一時、 消えてゐろ。
父と母とは、裾野の宿で
一晩ぢう、そのことを話した。
裾野の枯林をぬらして
小枝をピシピシ折るやうな音を立てて
夜どほし、雨が降ってゐた。
息子よ。ずぶぬれになったお前が
重たい銃を曳きずりながら、喘ぎながら
自失したやうにあるいてゐる。それはどこ
だ?
どこだかわからない。が、そのお前を
父と母とがあてどなくさがしに出る
そんな夢ばかりのいやな一夜が
長い、不安な夜がやっと明ける。
雨はやんでゐる。
息子のゐないうつろな空に
なんだ。糞面白くもない
あらひざらした浴衣のやうな
富士。
戦 争
千度も僕は考へこんだ。
一億とよばれる抵抗のなかで
「何が戦争なのだらう?」
戦争とは、たえまなく血が流れ出ることだ。
その流れた血が、むなしく
地にすひこまれてしまふことだ。
僕のしらないあひだに。僕の血のつづきが。
敵も、味方もおなじやうに、
「かたなければ。」と必死になることだ。
鉄びんや、橋のらんかんもつぶして
大砲や、軍艦に鋳直されることだ。
反省したり、味つたりするのは止めて
瓦を作るやうに型にはめて、人間を戦力とし
ておくりだすことだ。
十九の子供も。
五十の父親も。
十九の子供も。
五十の父親も。
一つの命令に服従して、
左をむき
右をむき
一つの標的にひき金をひく。
敵の父親や
敵の子供については
考える必要は毛頭ない。
それは、敵なのだから
そして、戦争の考へるところによると、
戦争よりこの世に立派なことはないのだ。
戦争より健全な行動はなく、
軍隊よりあかるい生活はなく、
また戦死より名誉なことはない。
子供よ。まことにうれしいぢやないか。
互ひにこの戦争に生れあわせたことは。
十九の子供も
五十の父親も
おなじおしきせをきて
おなじ軍歌をうたつて いかがでしょうか。あの暗い時代、ほとんどの日本人が「神州不滅」を信じていた時代に、こんな詩を書いていた人がいたのです。いま自衛隊は「世界平和」を名目にアメリカに追随する日本政府の手先として戦争に協力しています。
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