この連載のタイトルは「昭和ラプソディ〜いま日本語を考える〜」だが、この原稿の元になっているのは、私がおしゃべりをしている「ならどっとFM」の番組「昭和ラプソディ」の中の、「美しき日本の歌〜珠玉の言霊を読む〜」という名前のコーナー。全体で約1時間のおしゃべり番組の後半の冒頭、約10分をこのコーナーに当てている。何を取り上げるか、正直なところ毎回が大変な作業。
それでも続けているのはこのコーナーを聴いてくださる方々に、日本語の持つ素晴らしさを少しでも伝えたいから。私のコーナーを通して、日本語について何かを考えて欲しいと願うからにほかならない。私たちが何気なく使っている日本語という言葉は、こんなにも素晴らしい言葉だということを感じて欲しい、ただそれだけのことだ。
ところで、近代の歌人がこのコーナーに登場したのは29回目の放送が始めて。理由は簡単で、私の知識不足。近代・現代の詩はそれなりに読んでいるつもりだが、近・現代の和歌についてはほとんど門外漢に近い。
そんな近代の歌人で始めて取り上げたのは石川啄木。
短歌にはあまり関心が無かった私だが、石川啄木の歌集は好きで、よく読んだ。
26歳という若さでこの世を去った啄木は、有名な二冊の歌集を出している。最初の歌集は明治43年12月に東雲堂書店より出版された290ページの歌集、「一握の砂」。その冒頭に掲げられた和歌は、発表されてから百年近く経った今でも、おそらくほとんどの方がご存知だろう。
東海の 小島の磯の白砂に
われ泣きぬれて 蟹とたわむるまた 同じ歌集にある
たわむれに 母を背負いてそのあまり
軽きに泣きて 三歩あゆまず はたらけど はたらけど 猶わが生活
楽にならざり ぢっと 手を見るなども、よく知られた和歌だ。そして、これからもこれらの和歌は、人々の心に語り続けるだろう。
この歌集「一握の砂」には明治41年6月から明治43年までに作られた551首が収められ、「我を愛する歌」「煙」「秋風のこころよさに」「忘れがたき人人」「手套を脱ぐ時」との題がつけられた五つの章に分けられている。先に挙げた三首はいずれも第一章の「我を愛する歌」に収録されたもの。
この歌集、「一握の砂」が啄木の生前に出された唯一の歌集で、もう一冊の有名な歌集、「悲しき玩具」は彼の死の二ヶ月後に出版された。
ところでこの啄木生前に出版された唯一の歌集は、彼の長男の出産費用捻出のために計画されたと言われてる。ところが、明治43年10月4日に誕生した長男の真一は、わずか二十日あまりを生きただけで、10月27日に亡くなってしまう。
啄木は編集中のこの「一握の砂」の最後に、長男の死を悔やむ歌、八首を収めて歌集を締めくくる。まさか、この歌集にそんな歌を収めることになろうとは、夢にも思わなかっただろう。
啄木は当時、東京朝日新聞に籍を置いていた。そして、仕事のために愛児の死に目に会うことが出来なかった。
夜遅く 勤め先より 帰り来て
今死にしてふ 児を抱けるかな
二三(ふたみ)声 いまわの際に 微かにも
泣きしといふに なみだ誘はる
底知れぬ 謎にむかひて あるごとし
死児のひたいに またも手をやる
悲しくも 夜明くるまでは 残りいぬ
息きれし児の 肌のぬくもり これらの歌に解説は不必要だろう。歌人 石川啄木の慟哭が聞こえてくる。
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