今回は再び古代に戻って「催馬楽(さいばら)」からのご紹介です。催馬楽といっても、ほとんどの方には馴染みがないのではと思います。この種のものが割りと好きな方だと思っている私も、いままでに催馬楽が唄われているのを聴いた記憶は、一回あるかないか、神社などの奉納舞楽の席でも、唄われることはないようです。日常生活ではまず聴く機会はありません。
催馬楽というのは、奈良時代末期から平安時代にかけて成立した流行歌だと思って下さい。催馬楽の起源はいろいろと言われていますが古い史料には催馬楽について
古(いにしへ)より今にいたるまで、習ひ伝へたるうたあり。 として、
催馬楽は、大蔵の省(つかさ)の国々の貢物おさめける民の口遊(くちずさみ)におこれり、
とあります。つまり国々から都、奈良・京都の大蔵省へ収めるための貢ぎ物を積んだ馬を曳いて歩く庶民が口ずさんだ歌、いわば民謡が起源だというわけです。
これに当時の宮廷で楽しまれていた雅楽、舞楽などと結びついて成立したものだという説が一番正しいと思います。
皆さんが時には耳にするだろう春日大社の祭礼などで奏でられる管弦や舞楽、雅楽は、いわば「外来音楽」が元になっていますが、「催馬楽」はその意味では純日本製、流行歌のルーツだと言えるかもしれません。
催馬楽には歌だけで舞いは付けられていません。題材もさまざまですが恋の歌などが多いようです。庶民によって作られ唄われ、伝えられただけに、あけすけで明るい歌が多く、他の宮廷音楽では考えられない農耕や土地の風物に題材をとったものがあり、中にはもし現代の言葉に直せば完全に放送倫理コードに抵触するような、性を謳歌した歌もあります。
一般的には歌の冒頭の部分は一人の歌い手が独唱し、途中からほかの歌手が入って合唱となり、これと同時に笙(しょう)、篳篥(ひちりき)、琵琶などの楽器が加わります。
では、その中から、私が「にやり」とした歌を一首。
「桜人」と題されたこの歌は二つの部分からなっています。言うまでもなく男女の掛け合いです。
まず男性が歌います。
桜人 その舟止(ちぢ)め 島つ田(しまつ だ)を 十町(とまち)つくれる
見て帰り来むや そよや 明日帰り来む そよや 桜人というのは地名で、桜に住む人というのが普通の解釈です。そよや、というのは囃子詞(はやしことば)だと思って下さい。
「おーい 桜の人よ その船を止めてくれないか
島に田を十町ばかり作ってあるんでね、その船に乗せて もらって 島に渡ってその田を見回って、そうだ 明日 帰ってこようと思うんだ」
これに対して女性が歌います。
言(こと)をこそ 明日とも言わめ 遠方(おちかた)に
妻(つま)ざる夫(せな)は 明日も真(さね)来 じや そよや さ明日も真来(さねこ)じや そよや 「口先だけは明日帰るなんて言ってるけど、あっちに二号さんを囲っているあんただもんね。口先だけで決して明日帰ってきたりはしないよ、きっとそうですよ、ええ、帰ってきませんとも」
田に行くなんて言って、どこの田を耕しに行くんだか。あんたのすること何ぞ、とっくにお見通しよ、という訳です。
先の万葉集もそうですが、どうも男性は女性に見透かされているようです。
しかし、そんな男にとってなんとも情けない歌が、延々と千年以上も歌い継がれてきたことに、私は日本文化の深さを見る思いがするのですが、いかがでしょうか。
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