この連載の8回目に「娯楽作品に入った検閲の手」と題して、映画監督・辻吉朗氏の「魂まで切る厳しい当局の検閲ぶり」と題した一文をご紹介し、昭和初期の検閲の実態に触れたのをご記憶だろうか。
では当時のマスコミ、特に放送はどうだったのだろう。今回は昭和4年11月15日朝刊の記事をご紹介しよう。
見出しは三段四行になっている。
「放送検閲の悩み 『余りに手厳しい、不統一だ…』と こんどは逓信当局へ非難 議会ニュースも一問題」 このころのこの種の記事によく見られるように、本文の中で三ヶ所ほど大きな活字が改行して囲みでゴシックが使われ、それが一種の中見出しになっている。それ以外に改行はない。本文は全部で59行、1行15字詰め。では本文をご紹介する。なお、仮名遣いと漢字は基本的に現在のものに変えている。また、本文中のゴシックは紙面でも改行となっている場所を示す。句読点は適宜、手を加えた。
舞台に上せる脚本の検閲が喧しくなってなって来た一面、今度はラジオ放送の検閲が問題になっている。ラジオの検閲は従来逓信省の手でやっているが、根が思想取締などには直接関係のない逓信局ののことだけに、今までにも相当手きびし過ぎたところへ、最近ますます厳重になる一方で、大阪放送局だけでもこの一ヶ月 ほどの間に放送禁止になったラジオドラマが、高田保氏作「公園の午後」、砂田駒子一派がやることになっていた「夫が妻を騙した場合」、北村喜八氏作「山の喜劇」の三つ。
このほか高田保氏作「勇士の一家」、中村吉蔵氏作「支那の女王」などはほとんど完膚なきまでに骨抜きにされ、このほか放送局の方でこれではとても放送出来ぬというので撤回したものがすくなくない。殊に面白いのは議会ニュースの放送で、東京、大阪、名古屋の三放送局には現在の日本放送協会として合併する前の三局分立時代に、「ラジオによる政治上の論議は一切まかりならぬ」という厳しいお達しが来ているのに、どうした手ぬかりか、後から出来た地方四局にはその命令が来ていなかったので、昨年など前期の 三局では断片的な官報式のニュースしか放送出来なかったのに、熊本などでは電通のニュースを、始めから終わりまでどしどし放送して、ファンを喜ばせたというようなことがあり、大体東京で許されたものが大阪ではカットされ、大阪でカットされたものが地方の局で堂々と放送されているというような、検閲条の不統一がここにも見られるので、今年からは議会ニュースは全部お膝元の東京で検閲を受けたものを、全国に中継するようにしてはというので目下研究中である。
ラジオは一定の劇場や会場で聞かせるものとは違って凡(あら)ゆる地方の凡ゆる階級のものの耳に入るのであるから、従って取締りを厳にせねばならぬとは逓信省側のいい分だが、「白いうなじが気にかかる」という歌の文句が気にかかるとか、「軍国主義的精神」はいけぬが、英語で「ミリタリズム」にすれば許すというに至ってはあんまりではないかと、放送局側ではこぼしている。
こんな記事の中からも、当時のさまざまなことが浮かんできて面白い。
なお、この記事に続けて「検閲制度の不当を叫ぶ 批判演説会」という記事が掲載されているので、ついでにご紹介する。
大阪の検閲があまり過酷すぎるというので、その反省を促すため西下した文芸家協会の長田秀雄、新居格、金子洋文氏らは14日朝大阪府庁へ出かけ、蔵原警察部長と会見し陳情するところがあったが、同午後6時から中央公会堂で「検閲制度批判講演会」を開催した。大阪の山上貞一氏が「見物の一人として」火ぶたを切ったのを最初に、おくれ走せに飛行機で馳せつけた直木三十五氏は「映画検閲について」、大阪の豊岡(ママ)佐一郎氏は「新劇運動の希望」、新居格氏は「作家の死活問題」、金子洋文氏は「検閲の全国統一へ」、森田信義氏は「第三者は語る」などの題下で何れも熱弁を揮い、最後に長田秀雄氏が「検閲問題に関し大阪市民に訴ふ」と題してそれぞれ検閲の不当を鳴らし、直木氏などは「注意」を喰らったほどで、盛んにメートルをあげて場を埋めた二千に近い聴衆を熱狂させ盛況裡に午後8時半散会した。
如何だろう、昭和初期の世相のさまざまな形が、こんな記事からも読み取れる。
[C68] 官報